2014年8月1日金曜日

晩翠草堂

仙台ゆかりの土井晩翠。

千臺城には,30分ごとに「荒城の月」が流れる晩翠像があるらしい…


ちなみにこの歌詞のモデルは青葉城ではなくて鶴ヶ城です。
昭和21年11月3日,晩翠自身が会津で語っているそうです…。
けれど,どの城にも栄枯盛衰の物語があるので,地元の城に重ねて愛唱されるのだと思います。

…NAフルートで練習中…(汗

仙台には晩翠草堂という建物が残っています。
これは空襲で焼け出された晩翠のために教え子たちが建ててくれたものらしいです。



窓から見える焼け野原の市内の景色は今と違うでしょうが…
左の樹だけは当時のままだそうです。

天地有情は有名ですが…
晩翠が亡くなった当時とのベッドと布団が展示されているのを見ると
(もちろん「この部屋」で亡くなっている…)
「星落秋風五丈原」を思い出してしまいます。
草堂の入り口にも「天地有情」の碑が…。


ところで,昭和23年,晩翠はヘレン・ケラーに会っています。
そのとき松笠風鈴をヘレンにプレゼントしました。
彼女はその風鈴を振って,「どい」と名前を呼んだそうです。
(「三重苦の人」と言われていますが,ヘレン・ケラーは言葉を話せるようになっています…)
当時,立ち会った人から聞いた話ですが,
草堂の沿革にもなく,管理人にも「知らない話」と言われました。
互いの扱いの位置の違いが垣間見れれて興味深い…。

ときにこれ,本館ブログのネタでよかったのかな…?

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